本堂玄関と庫裏の間に立っている会館の入り口です。入り口を入ると左手側に寺務室、法衣室 右手側には厨房、庫裡がつづいています。正面には会館の主要部である座敷が続きます。

本堂と会館の間にある玄関です。本堂・会館をつなぐ廊下に面して二つの座敷があります。その向こうは中庭になっています。

大正末から始まる直伝弘法八十八所の第六十六番札所です。

正面下段左右に一体ずつ弘法大師像が安置されています。向かって左のやや大きい大師像は江戸末期に村の篤信者から寄進されたものです。向かって右側の小ぶりの大師像が100年近く前に安置された直伝弘法の像です。直伝弘法創始者の片岡家の小さな位牌も一緒に安置されています。当寺は66番の札所になっています。実際に回られた方は気がつくと思いますが、66番という順番と当寺の位置は合ってない感があります。これは本来割り振られた寺から弘法様が昭和初期に当寺へ移られた事によります。

かつて本堂内に掲げられていた絵馬です。

江戸時代末期から明治前半に掛けての数十年間、知多半島各地で集落単位かつ女性グループを中心にして西国33観音をお参りするという伝統があったようです。移動の手段は自分の脚力だけだった時代、大変な思いでお参りの旅に出立したことと思います。無事ふるさとの村に帰って来れたときの感謝の気持ちを絵馬にして寺へ奉納したものです。上の絵馬は右手に大きな滝が見えます。1番の青岸渡寺を描いたものです。明治十四年という年代と女性10人の名前が記されています。下のは明治二十二年、女性12人の名前が入っています。長い回廊と舞台造りの建物から11番長谷寺の絵と分かります。

小野四郎筆の涅槃図(1840年頃のものか)を毎年旧暦の二月十五日を中心に本堂内に掛けています。多くの鳥獣までもがお釈迦様の死を悼んで集まってくる様子が描かれています。この当時日本では見ることのできなかった虎は猫に似せて、また象の鼻はこぢんまりと描かれています、両方とも想像上の動物であったことがうかがえます。

今日本では亡くなった人を安置する時、北枕にして据えるのはお釈迦様のこのときの格好(頭北面西)によるとされています。小さい頃頭を北にして昼寝をしていると死んだ人のまねをしてはダメだとしかられたものです。