西用寺では檀信徒の方の葬儀および年回法要を勤めています。
私たち人間は誕生以来何百万年もの間、親からのDNAを受け継いで現在の生活を築き上げてきました。人の死を悼んで埋葬する風習は、石ころのような道具しか持たなかった旧石器時代にもう存在していたらしいです。人骨の手や足がそろえられているとか傍らに花が供えられている事実が確認されています。
日本でも文明が発展し始めた数千年前から特定の方式で死者を埋葬してきました(屈葬、伸展葬など)。やがて仏教が伝来するとその教えも取り入れながら明治期までは土葬中心で葬儀は行われてきました。大正昭和期になって火葬方式もだんだん都市部を中心に広がり、昭和30年代以後は常滑市でも火葬となりました。
枕経
亡くなられたという連絡を受けると駆けつけて故人が布団の上で寝ている状態の枕許で読経するのを枕経といいます。
この世で永い間お疲れ様でした、どうぞ安らかにお休み下さいという想いを込めたお経とこれから極楽浄土へ旅立ってもらうためにお釈迦様の弟子になっていただきますという儀式を務めます。
戒名
あの世に旅立つための名前が戒名です。墓碑などに刻むこともありますね。故人の人柄、趣味、職業、お寺との関係や家族の方の希望なども伺い、先祖代々の戒名との釣り合いも考慮して決めます。この戒名はまず白木の位牌に書かれ、通夜・葬儀から四十九日の忌明けまで祭壇に祀られ、その後黒い塗り位牌と交換します。西用寺の過去帳には1700年前後からの戒名が記載されています。古い檀家さんの場合10代位遡ることができます。
通夜
葬儀の前夜、関係の深かった身内や近所の人たちが柩を囲んで亡き人を偲び、悼むのが本来の通夜です。数十年前から社会の変化でサラリーマンが増えてくると、昼間は会社を休みにくいが、夜ならばということで通夜にお参りして済ませるようになってきました。そのため通夜が葬儀の一部のように考えられるようになりました。
葬儀(告別式)
葬儀式・告別式は言葉としては違いますが同じ儀式と考えていいと思います。ここまでが葬儀式、ここからは告別式と意識して勤めているわけではありません。私の勤める葬儀では棺前のお勤め、野葬(ここが本来の葬儀、引導を渡します)、灰葬、三日経、寺参りという順で続けてお経を読みます。
この葬儀の間遺族は焼香のために立ち上がる以外はずっーと着席してお参りをします。喪主は一番出入り口に近いところでお参りに来られた方々のお悔やみを受け答礼します。
近年家族葬と称して一般の方々のお参りを受けない方式が出てきました。しかし、葬儀社の車や霊柩車の出入りがあれば近所の人は気づきますので、親しくしていた人が亡くなればお参りしたいと思うのも人情ですね。人間関係の希薄な大都市ならばともかく常滑市のような旧村落の家並みが残っている所では、今後時間をかけて出来上がっていく方式かと思います。
西用寺での葬儀、祭壇の例
出棺・火葬・初七日
葬儀が終わると霊柩車に柩が載せられ火葬場へ向かい、亡骸は火葬されます。亡くなって24時間以上たってからでないと火葬できないそうです。亡くなって人もしくは喪主が常滑市民であれば常滑市の火葬場であれば数千円の費用で済みますが隣の知多市あるいは半田市の火葬場へ持ち込むと一桁違う費用を請求されるとのことです。
ついさっきまでは人間の形を維持していた亡き人が、火葬場から帰ってくるときには小さな骨壺の中の骨片になってしまい、あまりの変わりように世の無常を感じて涙する方もいらっしやいます。
式場へ帰ってきて、塔婆、遺影、骨壺を前にして初七日のお参りをいたします。昨夕の通夜に始まって、今日の葬儀、出棺、火葬、初七日のお参りで一連の葬儀の流れは終わりとなります。