空翁了円大徳を開基として天正年間(1570年代)の創立と伝えられています。その後1719年、1895年、1998年にそれぞれ再建されています。はじめ西用軒といっていましたが、1923年に現寺号の西用寺と改めました。今も境内地の南側の門柱には西用軒と刻されています。
かつては松林に囲まれていたところから「海松山」という山号だったと思いますが、明治以後周辺の畑地化・宅地化がすすみ、戦争中には船舶用材として多くの松が切られました。戦後しばらくはまだ松林も残り、近くにも雑木林や竹林もありましたが、高度経済成長の時代に駐車場や宅地となり、近年は松食い虫の害もありとうとう古くからの松は一本もなくなり、周辺もすべて宅地となってしまい山号には似つかわしくない景観となってしまいました。当寺のご詠歌は「西へいく誓いの舟に用いけん、みのりの海にうかぶ松ヶ枝」といいます。山号・寺号が読み込まれています。
現住職の明空昭稔は当山第二十四世にあたり、平成10年に晋山して現在に至っています。それ以前昭和41年から平成10年までは同じ宗派の大野町の甘露院住職をしていました。生まれ育ったのはこの西用寺です。昭和41年から平成5年までは大野町甘露院に住んでいました。