この頃思うことども 1

 社会の変化 
 生を受けて80年、物心ついてからの70余年間をふりかえってみると激変といってよい変わりようです。同年配の方で異議を唱える方はいらっしゃらないと思います。

 世の中を大きく変えてしまった原因は何でしょうか? 太平洋戦争でアメリカにメチャクチャたたかれ惨敗した結果、アメリカの文化がどんどん入ってきたからでしょうか、あるいはもっと昔絶対の権威をもって君臨していた幕府が倒れ明治新政府のもとで開化政策がとられたことに起因するのでしょうか。太平洋戦争や幕末の動乱が私たちの生活の変化に関係ないとはいいませんが、直接にはもっと別の原因があると考えています。まずは私たちの生活に大きく影響している事例をいくつかあげたいと思います。

 テレビ、パソコンとかケータイなどそんなものが無かった昔の人には、説明するのは困難なほどのとんでもない文明の利器が普及して今では子供でも使いこなすようになりました。カタカナの無い中国ではそれぞれ電視、電脳、手机と書かれます。この漢字を今の日本人であれば一度見れば、なんとなく理解できそうですがそれは実物を知っているからですね。
 また近年には高齢者には使えないようないろんなカードも出現してとまどっている人たちも多い状況がおきています。政府が早く早くと急かせたコロナワクチンの接種予約で、電話がつながらず右往左往したのは記憶に新しいところです。
 新幹線、高速道路など戦争前には無かったインフラもどんどん整備されて私たちの生活は便利、快適かつ豊かになりました。こんなにすばらしい時代は一万年にもおよぶ日本人の歴史のなかで最近3,40年のことにすぎません。高校時代毎日常滑に自転車をこいで通学していましたが、その沖合に国際飛行場ができるなんて夢にも思ったことはありませんでした。かつての通学路は旧常滑町を除くと大部分は砂利道で、雨・風の強い日は苦労したものです。   

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これは空港開港の前日H17.2.16の切符です。   この日たまたま家族でよそへ出かけその帰りに名古屋駅で空港行きのミュースカイに出くわし乗った時のものです。知多半島内をノンストップで突っ走る特急に乗ったのはこれが最初で最後です。帰りは空港から西ノ口まで普通電車でもどりました。

H30には空港内に広さ・高さともにとてつもなく大きな展示場が造られ、その中にボーイング787の実物が置かれました。その巨大さは見学者を圧倒しました。階段を上がって機体の中へ入り、コックピットまで行けるようになっていました。

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