この頃思うことども 5

社会の変化

 近年急速に普及してきた言葉に、終活・家族葬という単語があります。「恵方巻き」よりも新しく拡がってきた言葉のような感じます。『終活』については自分の人生はその終了する時まであるいは、お墓を含めて死後まで自分で責任を持て、子どもや一族に迷惑をかけるべからず。といった調子で毎号のように特集を組む中高年男性向きの週刊誌もあります。高齢になったらやるべき事を色々と教えてくれます。まずは断捨離してできるだけ身軽になろう、現有財産の一覧表を作ろう、住まいは今のままでいいのか引っ越すべきか、それともリフォームすべきか、介護が必要な状態になったら在宅にこだわって生活するのか、それとも適切な施設のお世話になるのか、病気が重くなったら延命治療を受けるのか受けないのか、最後は自宅で逝きたいのか、施設で看取られたいのか、葬儀についての希望はあるのか、相続財産はどのように分与するのか、お墓や埋葬についての希望はどうなのか等々一つ一つ取り組もうとすれば大変な仕事量になります。あんまり熱心に考えすぎると自分の寿命を縮める事になりかねません。

 こうした終活の内容を書きとめるためにエンディングノートとよばれる冊子が書店には各種取りそろえられています。その気になって買ってきてもあまりの分量に持て余してしまう人が多いんじゃないかと思います。

 私が子どもの頃、あるいは若かった頃にも当然のことですが高齢の方は地域に何人もみえました。その頃人生の終わりが近づきつつあった高齢者にとっては、今のような終活は無縁のものだったはずです。『終活』という言葉すら無かったのですから。明治大正から昭和初期にかけてお葬式は村の一大イベントだったはずです。お葬式当日朝早くには、故人の友達など関係者が鉦(かね)をたたいて村中を回って葬式を知らせ、喪主家を出発した棺桶はたくさんの人に運ばれ、白い紙でつくった花や冠など種々の葬具とともに墓地に到着。墓地での葬儀後、土葬にされました。一族はじめ近隣・友達関係など多くの人によって営まれるハレの日の儀式の代表例でした。昭和に入ってしばらくしてしだいに火葬が一般化して、墓地での葬儀はなくなりましたが、村の掲示板を使って葬儀の知らせを貼るとか、出がねをたたいて回るとかそれまでの風習は火葬が拡がったあとも長く続きました。当時の高齢者にとっては自分の番がきたときには、どんな具合に弔われるか、誰が焼香にきてくれるかなどは絵に描いたように生前からはっきりと分かっていたはずです。いわゆる『終活』などに頭を悩ます必要は全く必要なかったと思います。

 それがいつの間にか、村の掲示板に張り紙も無く、こっそりと隣近所にさえ知られたくないような雰囲気の中で葬儀が行われるような場面も現れてきました。この葬儀のあり方の変化こそ私たちの住む社会の変化を端的に象徴していると思います。

 村の墓地に残る、かつて棺桶を乗せて葬儀が営まれた蓮の花型の石。今では草に囲まれていて昔を偲ぶよすがともいいにくい。

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