このごろ思うことども 6

社会の変化

終活・家族葬の風潮が世の中を覆いつくそうとしているのはどうしてでしょうか。『自分らしい生活を、自分の人生は自分の意志で生きよう』といった言葉が広まってきたことの結果であると思っています。自分らしい考え方とか自分らしい人生という考え方は、まさに近代的な発想です、しかし言葉としてはともかく実際の生活の上でこれをつらぬこうとすれば、仲間内での調和を欠く自分勝手なやつだ、地域のまとまりを乱すやつだとみなされ、ややもすれば批判の対象となるはずです。その昔は一族のまとまりを維持し集落内の安穏無事な生活を続けていくために自分を抑えて我慢をする場合が一般的でした。自己を殺して耐え忍んだというのは小説の普遍的な題材の一つになっていました。普段生活をしていてあまり気がつきませんがいつの頃からか私たちは自分らしい生き方をとか、自分の意志で自分の人生をとかいう考え方になじんできているようです。

 このような考え方の変化をもたらした原因は、国民総サラリーマン化といってよい日本社会の変化にあると考えています。終戦後しばらくまでは『会社員・サラリーマン』は都市部の住民を中心とする国民の一部にすぎませんでした。政府が経済白書に『もはや戦後ではない』という副題をつけた昭和30年代初頭から、日本は工業化社会への道をひた走りました。そして都市部周辺からも多くの勤め人を集め、やがては都市部からはるか離れた農村地帯からも『集団就職列車』に乗った多くの若者を吸収していきました。いがくり頭やおかっぱ頭の少年少女が駅構内で旗をかざして待ち受ける出迎え人の所へという風物詩が懐かしく思い出されます。おりしもの高度経済成長時代の波に乗って都市の肥大化と農村の過疎化が自然現象のようにどんどん進み、アンバランスな状態になってしまいました。昭和50年代のはじめ、レンタカーで稚内から網走までオホーツク海岸を走ったことがありますが、その時すでにうち捨てられた廃船や廃屋が各地で目につきました。かつて『日本列島改造論』をぶち上げた首相もいましたが、今になって振り返ってみれば日本発展の長期計画を政府が持っていなかったことが残念ですね。

 高度経済成長の時代、力のある企業は支店網を築き社員を全国に配置し、しのぎを削って同業他社より大きくなろうとしました。転勤に次ぐ転勤を余儀なくされ、『オーモーレツ』(石油会社)『24時間戦えますか』(薬品会社のドリンク剤)等のコマーシャルに鼓舞され、転勤につぐ転勤もいとわずがんばった企業戦士も多かったことと思います。彼らは周囲との交流もなくかつ慣れない地域で夫婦であるいは一人で生活をしてきたはずです。何事も自分の意志で決めていかざるをえなかったと思います。一方企業戦士を送り出した田舎の家は高齢者夫婦のみとなり、保育園や小中学校へ通園通学する子どもの極端に少ない、少子高齢化社会を絵に描いたような地区になっていきました。テレビの長寿アニメ番組『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』が長年続いているのは、かつての大家族(三世代家族)にたいする高齢者層の郷愁と、故郷との関係がどんどんうすくなっていく働き盛り世代のふるさとへの思いがあるからではないでしょうか。

ちびまる子ちゃん3年生 お姉ちゃん 父 母

おじいちゃん おばあちゃん 3世代6人家族

カツオ君5年生 ワカメ3年生 タラちゃん3歳 サザエさん マスオさん 父親波平 母親ふね                 3世代7人家族

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