この頃思うことども 4
社会の変化
前回半夏生とタコの取り合わせに、近隣のスーパー全てが一致したという偶然の一致にびっくりしたと書きました。笑ってしまったというのはそういう風習の無い知多半島で、はたしてうまく売れるのかと思ったからです。7月2日には想定通り売れたかどうか関係者に聞いてみたいところです。今までには、商魂のたくましさを背景にしてだんだん広がっていった商品もあります。
昭和40年前後に私は神宮前で名鉄を降り熱田駅前までアーケードの商店街を歩いて、そこから築地口方面の市電に乗るのが通勤経路でした。クリスマスイブの帰り道夕刻に神宮前に続くアーケードを歩いているとクリスマスケーキが山と積み上げられている店がいくつかありました。ひとつ買って家に帰るときはささやかな幸せを感じたものでした。バタークリームをべたべた塗ったケーキでしたが。その後10年程たつと今度はバレンタインチョコレートが喧伝されるようになりました。今デパートにあるひと粒何百円というような高級品ではありませんが。
クリスマスケーキといい、バレンタインチョコレートといいこうした風習は欧米にもあるのでしょうか?どうも日本の業者が売り上げ拡大を図って熱心にすすめた結果であるような気がします。一部業者が熱心に宣伝した結果広がってきたのは、近年では恵方巻きがあります。一部地域で行われていた節分の日に黙って恵方を向いて巻き寿司を食べると願い事がかなうという習慣を、あるコンビニ業者が全国的な風習にしようとして努力した結果が、現在のようにスーパー・コンビニ・回転寿司業界入り乱れての販売合戦にまでなってきたようです。巻き寿司を黙って食べるというような習俗は全くなかった知多半島でも、今では正月早々から恵方巻きの幟がいっぱい立ち並ぶようになりました。商魂恐るべしです。大資本によるチェーン店が進出してくる前、私たちの周辺にあった習俗は土用の丑の日のウナギと、冬至のカボチャ位です。年に一回だけ口にした金谷のうな丼はうまかったですね。もう一度食べたいものです。それにひきかえ冬至のカボチャの方は今一でした。
今まで世の中には商品があふれかえって、よりどりみどりのいい時代になったと書いてきましたが、問題はいくらよりどりみどりとはいえ手に入れるためにはお金が必要という事です。世間には金に糸目はつけず宇宙旅行にも行きたいという人がいる一方、お金がないために三度の食事を二度にし、さらに一度にせざるをえない人もいるという現実があります。そういう人たちを自己責任の一言で切ってしまっていいのでしょうか。富の余りな偏在は決していい社会とはいえません。前回NO3でふれた自由主義的経済政策(商品の定価は自由につけて良い、同様に給料は何円にしても良い)の結果は国民にほどほどの経済的平等をもたらしたとはいいかねます。富める者はますます豊かに、貧しい者はますます貧しくということになりがちです。富の平等化を少しでも進めるのは政府・自治体の役目だと思います。
それにしても今年7月2日半夏生の日、タコの売れ行きはどうだったでしょうか、気にはなるところです。 以下 続く